ワイタンギ条約

毎年2月6日はニュージーランドの誕生日とも言うべきワイタンギ デーで、祝祭日となっています。

1840年2月6日、ここベイオブアイランズのワイタンギという場所で先住民族のマオリ族とイギリス君主との間で条約が締結されました。これがワイタンギ条約 Treaty of Waitangiと呼ばれる条約です。

200年近くも前のものにも関わらず今も根強く残っているというか、威力を持っているというか、多くの問題の根源になっているというか・・・ちょっと大げさに言えば、ニュージーランドの歴史はこのワイタンギ条約なしには語れないとも言えるものなのです。

もちろん、この条約締結より何百年も昔からこの地に人間は住んでいたわけですが、この日を境に現在の「ニュージーランド」という国としての歴史が始まったわけです。北島各地から集まった43部族の酋長がこの日条約に署名し、その後この日ワイタンギに来ることができなかった全国500人の酋長の署名を集めたそうです。

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ワイタンギ条約記念館に展示してある条約書類の一部。

マオリの人たちにはイギリス国民としての権利が認められ、近代化に向けての前途が開かれたかのように見えたワイタンギ条約ですが、そう簡単に事は運びませんでした。条約締結後の1843年以降約30年間に渡ってマオリ族の反乱が続きました。現在もなお様々な問題が残っているのが現状です。

所謂和平条約であったはずの条約なのに、なぜそんなことになってしまったのでしょうか・・・?

それは、英語版の条約案をマオリ語に翻訳した時からすべて始まっています。

英語の言葉の中には、認識や文化の違い等でマオリ語には存在しない言葉や考え方があり、またその逆もあります。(もちろん、日本語と英語の間にもありますよね。)

結果的に英語版条約とマオリ語版条約では意味の解釈に大きな隔たりができてしまったのです。

白人入植者たちによって、彼らとその文化の都合のいいような理由や方法で土地を取られてしまったと思っているマオリの人たちも多く、現在までに大きな問題として発展しているものもあります。

ニュージーランドの土地はすべて自分たちのものと思っているマオリの人たちと、ニュージーランドは植民地(として自分たちの土地になった?)と捉えていた白人たちの理解度の違いが引き起こした悲劇とも言えます。

他の地域はよくわかりませんが、少なくともベイオブアイランズを含む北島のノースランド地方には「マオリの土地」という地区や範囲が存在します。誰か個人のものではなく、その土地のイウィ Iwi(部族)のものです。そういう土地にも家はたくさん建っていますが、土地を買うことはできないので借地契約を結び毎年借地に対するお金を払っているわけです。もちろん家そのものは家主のものです。

これらのことを含め、1975年、マオリ族の反乱鎮圧後100年間放置されていた問題を見直し、ワイタンギ条約で認められた権利を再審議しようと「ワイタンギ審判所」が設立されました。

その結果として、英語だけだったニュージーランドの公用語に現在はマオリ語も加えられたり、略奪した?土地を一部マオリ族に返還したりしています。

そういうことに関連してか、我が家の子供たちもそうですが、多くの学校がマオリ語の授業を行っているようです。その反面、マオリ語を完璧に話せないマオリの人たちも増えているみたいです。

200年近くも昔の条約が今もまだ生き続け、21世紀の現在もその威力を発揮していることもそうですが、その問題を解決しようとしていることも考えてみるとすごいことですよね。

その条約が調印された場所は現在ワイタンギ条約公園 Waitangi Treaty Groundとなっていて、広い敷地と博物館などでその歴史を見ることができます。

ベイオブアイランズには、そんな初期のニュージーランドの歴史を垣間見ることができる場所が他にもたくさんあります。

関連:
【ワイタンギ条約公園 Waitangi Treaty Ground】
【ワイタンギデー Waitangi Day】

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